「童謡の心」

標準
◆過日、三越左千夫童謡コンサートを聞く機会があった。
三越左千夫研究会の手作りコンサートということで、童謡ならではの詩と曲に加え、園児や小中学生がプロの声楽家と一緒に歌う純真な歌声に、会場はほのぼのとした雰囲気に包まれ、久しぶりに童心にかえり心がなごみました。
親が子を、子が親を殺傷するという殺伐とした世情とは無縁なものを感じさせるひと時でもありました。
◆「心がなごむ」とは裏腹に、最近心を痛めることがある。
われわれ議員は市民から負託をうけており、議会での発言には厳しく歯に衣を着せぬ発言もある。
甲論乙駁(こうろんおつばく)、議論が伯仲するのも結構だが、ややもすると自分達のグループや個人を正当化するために相手の人格や立場を無視したり、心にもないお世辞や皮肉交じりの冗談を発する。
まして誹謗中傷まがいの言葉は、端から見ていて見苦しい限りで、大人の議論ではない。
何気ない言葉の中にも人柄や教養が現われ、その人の心の中が覗える。
本人は上手く話しているつもりだが、その腹のうちは言動に映しだされ、周りの人達にもその心は読み取られている。

◆「口あいて腸見せる柘榴かな」
まさに言い得て妙の句である。
言葉には魔力がある。 相手を励ましたり傷つけ萎縮させたり、時と場合によって益にも害にもなる。
諺に「口は禍の門」「寸鉄人を刺す」などあるように、われわれ議員は言葉に責任が伴うだけに、言葉は心して使わねばならない。
発言は単純明快、正鵠を射たものにしたいものだ。

◆東洋の文化は「恥の文化」
子供の頃から日本人として恥ずかしいことだけはするな、人様に迷惑をかけるな、特に言葉の暴力でもある誹謗中傷は人として恥ずべきことであると教えられてきた。
「誹謗中傷、それを言っちゃお終いよ」
寅さんこと故渥美清が天国から話しかけてくるようだ。
童謡から泥臭い議会の話になったが、時は流れ、立場・持ち場が違っても、人としていつまでも「童謡の心」を大切にしたいものだ。